『沖縄日記』 (26) ひめゆりの塔
平和祈念公園を出て、海岸沿いに那覇に向かって進んでいくと
もう一つ訪れたかった場所があります。
ひめゆりの塔。
ここのことは、TVでも大きく取り上げられたりして、頭の片隅にはあったのですが
実際に訪れてみて、大きな衝撃を受けました。
この写真は、ひめゆりの塔のところにありました。
最初はこれがひめゆりの塔だと思っていたのですが
本物は数十センチの高さの碑だそうです。
写真は、ひめゆり平和祈念資料館のほうでどうぞ。
クリックして見てください。
「ひめゆりの塔の記」です。
この慰霊碑の前には、有名な壕があります。
この石像くらいの若い学生達が、命を落としていったのですね。
とても悲しいことです。
ここでひめゆり平和祈念資料館で、お勉強です。
学徒の写真や逃げ込んでいた壕「ひめゆりの洞窟」の実物大の再現ジオラマなど。
予想以上の衝撃でした・・・
ここにあった地図です。
ちょっとピンボケで見にくいですね。
沖縄に来て、青い空・青い海、そしてゆっくり流れる空気の中で、しっかり癒されたのですが
本当に癒されなくてはいけない方が、たくさんいらっしゃるのかもしれませんね。
ここで受けた衝撃は、言葉に言い表せないものでした。
是非、ひめゆり平和祈念資料館のホームページを見てください。
詳しく説明がされています。
ゆっくりゆったりの旅だったので、しっかり最後にしわ寄せが・・・
この後、立ち寄る予定の琉球ガラス村は素通り。
那覇空港に直行です。
もう一つ訪れたかった場所があります。
ひめゆりの塔。
ここのことは、TVでも大きく取り上げられたりして、頭の片隅にはあったのですが
実際に訪れてみて、大きな衝撃を受けました。
ひめゆりの塔・・・
1945年6月、この地で従軍看護婦として動員され戦死した女生徒達をまつった慰霊碑。
この写真は、ひめゆりの塔のところにありました。
最初はこれがひめゆりの塔だと思っていたのですが
本物は数十センチの高さの碑だそうです。
写真は、ひめゆり平和祈念資料館のほうでどうぞ。
クリックして見てください。
「ひめゆりの塔の記」です。
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなむ。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、もとは「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。植物のヒメユリとは関係がない。
(Wikipediaより)
この慰霊碑の前には、有名な壕があります。
この石像くらいの若い学生達が、命を落としていったのですね。
とても悲しいことです。
ここでひめゆり平和祈念資料館で、お勉強です。
学徒の写真や逃げ込んでいた壕「ひめゆりの洞窟」の実物大の再現ジオラマなど。
予想以上の衝撃でした・・・

ここにあった地図です。
ちょっとピンボケで見にくいですね。
沖縄に来て、青い空・青い海、そしてゆっくり流れる空気の中で、しっかり癒されたのですが
本当に癒されなくてはいけない方が、たくさんいらっしゃるのかもしれませんね。
ここで受けた衝撃は、言葉に言い表せないものでした。
是非、ひめゆり平和祈念資料館のホームページを見てください。
詳しく説明がされています。
ゆっくりゆったりの旅だったので、しっかり最後にしわ寄せが・・・

この後、立ち寄る予定の琉球ガラス村は素通り。
那覇空港に直行です。
この記事へのコメント
二度とああいう悲惨なことが起こらないように・・平和が続きますように・・と、願わずにいられません。
ひめゆりの塔の悲惨さ。
私は、このひめゆりの塔のイメージが強すぎて
沖縄に行けなかったのかもしれません。
何とも言えないです・・・
素晴らしい海と空の青い色に魅せられていましたが、この場所へ行った時は心が沈んでしまいました。(ーΩー )
強い衝撃は忘れる事ができません...
日本で過去にこんな悲惨な戦争があったと言う事...絶対に忘れてはいけませんね。
私もTVでしか知らなかったのですが、ここに実際に隠れていた壕が実物大で再現されていたのですが、こんな所に隠れていなくちゃいけないのかとビックリしましたよ。
一度はここに行ってみたいと思っていたけれど、衝撃は大きすぎるものでした。
TVの影響って大きいですよね。
ここのことは、昔から大きく伝えられているので、少し緊張して行ったのですよ。 ちょっと身が引き締まりました。
確かに重い歴史を感じますが、今の沖縄の人達は明るいですよ~。きっと思いをしまっている人も多いでしょうが、観光に行く私たちを優しく迎えてくれます。 でも、ここは時間があれば、是非訪れてほしいところです。
マリリンさんも感じましたか~!
こんなに綺麗な場所で…って、再度実感しました。
沖縄の旅の最後に、沖縄の歴史を思い知らされた思いでした。
同じことが繰り返されないことを祈っています。
花売りのオバサンたちが観光客相手に居て子供心には何だかピンときませんでした
そのうちあの「豪」の真っ黒な穴を覗いて以来・そうして生き残りの方たちが語り始めた真実を知るにつれ何ともむごい戦争の爪あとよと・・戦前の教育を受けて命を捧げて行った今の私よりもずっとずっと若い人たちの思いを忘れてはいけないですね。。。
今も戦争が身近な沖縄・基地と共存の人たち・・・離れてると人事のようですが帰ると基地のフェンスを見るたび叫びたくなる私です!
基地のない昔の平和に島に戻してください!
広島もそうですけど、戦争で受けた傷跡や痛みを隠さずに維持することは、地元の人にはいつまでも辛い記憶を突きつけ続けることでもありますよね。
それなのに「平和」を訴える為、あえてこの場所を残し続けてくれる、沖縄の人たちには頭がさがります。
東京にも大空襲があったけれど、そのことを知ってる東京人はどの位居るだろう…と考えてしまいます。
現場にたつと衝撃を受けるでしょうね
今の世の中が平和である有難さをもっと感じないと
ここに眠る御霊に申し訳ありませんね
あとでホームページを見てみます。
べじまきさんたちは、歴史を肌で感じられる環境の中で育ったのですね。こういうことがあったのだとわかっていても、近くにその証拠がないと、ピンとこないものです。
学生時代は、机上の学問だけで、大人になってあちこち出かけてこの目で見ると感じ方が全く違うのですよねぇ。だから、若いうちに可能な限りいろんなものを見せてあげたいと思っています。
東南植物園の近くを通った時に、大きな飛行機がすぐ上を飛んでいました。どうも沖縄とは不釣合いのように見えましたよ!
やっぱりどなたに聞いても、ここでの衝撃は強いようですね。
ここの人達にとって、何もなくなっても心の奥底に残るものはぬぐえないのでしょうけれど、こういうものがあるからこそ、戦後生まれの私でも感じることができるのだと思います。
私もここに行くまでTVで見ているだけ、知っているようで知らない世界を見たように思います。
今は出かけていかなくっても、ブログをはじめPCで実際にそこにいる気分になれるのでいいですよねぇ~。最近、知った私です。(笑)